誰かの為じゃなく
自分の為でもなく
そう、全てはキミのため。



こんな幸せのカタチがあってもいいと思う。


























      For you...

                        〜さよならをあげる〜


























下唇を噛んでイスから立ちあがった。
手のひらには小さな紅と白、ニ色のカプセル。
そう、解毒剤だ。

「終わった・・・・」

終わった。何もかも。
黒の組織が壊滅して早三ヶ月。
止めていた薬の開発を再開し、そしてやっと解毒剤が出来た。
これを飲めば全てが終わる。















三ヶ月前、彼はこう言った。

「解毒剤が出来たらすぐくれないか?アイツを迎えに行きたいんだ」
少し照れたように笑いながら。

「解ったわ、すぐに連絡する」

平気そうに言ったけど、
あれから彼には会っていない。
ずっと地下室で研究をしていた。
これに全てをかけていた。

貴方のために出来ること。
これくらいしか、してあげられない。
(あの人に目の前であんなこと言われちゃね・・・・・)










元の姿に戻ったら、何をしようか?

とりあえずお姉ちゃんのお墓参りに行って、
それから住むところも探さなきゃ。
博士は居てもいいと言ってくれているけど、やはりココにはいられない。
博士にもすごくお世話になった。
何か恩返しをしたいけど。
あの雨の中、どうしようもない自分を救ってくれたのは博士だけだった。
ココの片付けもしなくちゃね。
かつて博士が研究室として使っていたこの地下室。
今では自分の私物で溢れている。











((逃げるなよ灰原・・・自分の運命から逃げるんじゃね―ぞ・・・))
彼の言葉を思い出していた。
逃げる?あたしが?
貴方があたしを逃げるよう、差し向けたんじゃない。










傍にあった白いコードの受話器を手にした。
ある番号を無意識に押していた。
身体に焼き付いているあの番号。
忘れたはずなのに、指は覚えている。

トゥルルルル・・・
三回のコール音。



「「・・・もしもし?」」
寝起きだろうか。
少し機嫌の悪そうな声。

「工藤君?あたし・・・だけど・・・」
声が上ずる。
数ヶ月ぶりに聞く彼の声。

「「あぁ、灰原か。久しぶりだな!」」
少し意地悪したくなる。
「・・・・彼女かと思った?」
「「何言ってんだよ?どうかしたか?」」
変わらない、優しい声。



「解毒剤が出来たわ・・・・」
もっと彼の声を聞いていたいけれど、それは出来なくて。
用件のみを簡潔に言う。

「「ホントか?!解った、すぐ行く!!」」
上擦った彼の声。
もう待ちきれなかったのだろう。
「あ、待って!あたしがそっちに行くから・・・」



逢いたい。
その気持ちだけが強くて。



「そうか?じゃ、探偵事務所に居るから」
「解ったわ、じゃぁまた後で・・・・」













受話器を置いて一呼吸。
自分は普通だっただろうか。
動揺して少し声が高くなっていた気がする。
涙が出てきそうで声が詰まったような気もする。

もう一度カプセルを見つめた。
「こんなもん作るんじゃなかった・・・」

ううん、違う。
アポトキシン自体作るんじゃなかった。
そうしたら彼は工藤君のまま。
自分にも逢わなくて済んだのに。



ううん、違うわね。
あたしが逢わなくて済んだのに。























カプセルを小さな容器に詰めて、
デニムのトートバックにいれて、ドアノブに手をかけた。
ドアを開けたらその前には博士の姿。

「行くんじゃな・・・・・・・・」
「えぇ・・・・・・・・」

博士はあたしの気持ちを知っている、ただ唯一の理解者。
「お世話になりました」
深々と頭を下げて。
「あの雨の中、あたしを救ってくれたのは博士だけだった」
少し俯いて。
「本当に感謝してます」





淋しそうに博士は聞いた。
「本当に帰って来ない気なのかい?」
「えぇ・・・」
「淋しいな、せっかく可愛い服いっぱい買ったのに・・・」
「ありがと。でもこれ飲んだらもう着れないわ」
さすがに小学生の服は着られない。
ちょっと吹きだしてしまった。

「荷物はそれだけかい?」
「えぇ、あと地下室にあるのは捨てちゃって構わないわ」
あたしにはもう必要ないから。

「そうか・・・」
「あとお礼というわけじゃないけど」
「ん?」
「デスクの上にあたしが作った毛はえ薬を置いといたわ・・・・・効くかわからないけど」
ほんのささやかなお礼。
「そうか・・・・」
流石に博士は淋しそうだ。



「じゃぁ、そろそろ行くから」
だから自分は努めて明るい声で。
不安にさせたくはない。



「あぁ、いつでも淋しくなったら逢いに来なさい・・・・志保」
いつかのあたしを拾ってくれたみたいな、優しい博士の姿。

「・・・・・・・・・・・・ありがと」
抱擁を交わし、家を出る。










外に出るのは久しぶりだ。
街には夏の終わりの独特の匂いがする。
どこか懐かしい、甘酸っぱい匂い。

見慣れた景色。
何も変わらない。
変わったのは自分。



ねぇ、いつからあたし、こんな風になった?
ねぇ、いつからあたし、貴方のこと・・・・・
誰か教えて。































大きく深呼吸してチャイムを押す。
ピンポーン。



「はーい」
元気な貴方の声に、ドアを開ける音。
「よっ!待ってたぜ」
そして無邪気な笑顔。

「お邪魔します・・・・」
誰にも聞こえないくらいの声で言い、中に入る。





「・・・・・・・・彼女はいないの?」
「あぁ、おっちゃんと買い物に」
「そう・・・・・・」

買い物に行ったのはついさっきだと聞いて少し安心する。
元の姿に戻ったとしても、その場を見られることはない。
この部屋に自分と彼のニ人きり。
お互いの鼓動が伝わりそうだ。



「それにしてもおまえ、何だその荷物?!」
沈黙を破るように、彼は素っ頓狂な声を上げた。

「この街を出るのよ」
彼の声とは対照的に、静かな口調。
「・・・・・・・・・・・・そうなのか?」
「えぇ、もうここにいたって仕方がないから・・・・」

そう、貴方とあの子が仲良くやってる街にはいられない。
あたしはそんなに強くない。



「そっか・・・・・・・・・淋しくなるな」
社交辞令の貴方の言葉にイチイチ反応してしまう。
本当はそんなこと思ってないくせに。














「・・・・・・・・・・これが解毒剤よ」
小さな容器に入れたあの憎らしいカプセル。
取り出して彼に渡した。
「これか・・・」
彼の瞳には喜びと不安の色。



「・・・・マウスで一応実験したけど、人間にはどうかちょっと・・・」
「そっか・・・」
「死ぬかもしれないわ・・・・」

こんなこと言いたくはなかった。
彼が死ぬなんて考えたくなんかなかった。
だけど。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
彼は黙ってしまう。

数秒後、重たい口を開き彼はこう聞いてきた。
「一個しかねぇけど、おまえは飲まねぇの?」
ほら、そうやって貴方はいつも人のことばかり。



あたしの心配はしないで。
好きでもないくせに、優しくなんかしないで。



「・・・・・・・・・・・・貴方が成功したら、後で私も飲むつもり」
彼にはあたしの本当の姿、元の姿である『宮野志保』を何となく見られたくなかった。
「何だよ、それ?!オレは実験台ってことか?」
そうやって彼は笑っていたけど。

















「よし・・・・・じゃぁ飲むぞ?」
大きく息を吸い、彼はそれを水と共に飲みこんだ。

ゴクン。
喉を通った音がする。



「どう・・・・・・・・・・・?」
あたしは恐る恐る聞いてみた。
「まだ解んね――――――」

ドクンッ!!
何かが弾けたような音。





「き、きた・・・・・!!」
「工藤君・・・・?」

少し怖くなってきた。
昔、パイカルの成分を分析して作ったあの試作品を彼に飲ませた時の記憶が蘇る。
あの時は怖くて怖くて死にそうだった。
彼が居なくなるかと思った。

「・・・・・・・・・どうなの?気分は?」
「気持ちわりぃ・・・・・」
嫌な冷や汗をかいている。
そのまま腹を押さえ、座り込んでしまう。



「・・・・・・・・工藤君?」
大丈夫だろうか。
「何だよ・・・・これ・・・・・・・・」



辛いのなら代わってあげたい。
そんなこと無理なのは解ってる。
胃を押さえ、苦痛に満ちた彼の表情。
苦しそうだ。





果てに、床に寝ころんでしまった。
足が痙攣している。

「―――――カハッ・・・・!!」
大きく咳をして、それっきり彼は動かなくなってしまった。



「・・・・・・・・・・工藤君?!」
揺すってみるが、反応はない。
頬を叩いてみるが、反応はない。

「工藤君?!」
金切り声が部屋中に響く。





本当はこんなことを予想していたのかもしれない。
彼が居なくなること。
そんなの解ってじゃない。
自分は結局、彼に何もしてあげられなかったじゃない。



「工藤君・・・・」
涙が溢れて止まらない。































身体が痛い。
あちこちにささるトゲ。
オレへの恨みか・・・・?

宙に浮いてる感じがする。
ふわふわとこのまま飛んでいけそうだ。



そっか・・・・・・・・・オレ、死んだのか。
だからこんなに身体が軽いのか。
でもトゲの痛みは感じるんだな。

天国に行けるだろうか?
現世であれだけ頑張ったもんな。

あぁ、でもせめて・・・・



せめてもう一度だけ。























そういえば、灰原のヤツはどうしてるだろうか?
アイツのことだから、オレを死なせたとかいって苦しんでるだろう。
オメーのせいじゃねーのに。
アイツも何だかんだいってお人よしだな。
これからどうするんだろうか?
この街を出てくとか言ってたけど、
行くところなんてないはずなのに。





オレもバカだな。
灰原の忠告も聞かず、無茶ばかりして。
それで命を落とすんだから、
神様も救いようがねぇよな。




































誰かの声が聞こえる。
誰かがオレを呼んでいる。

幻まで見えてきた。
あれは・・・・・・・アイツ・・・か?

いや、違う。
見覚えのあるあの赤みがかった茶パツ。
この薬品混じりの香り。
・・・・・・・・・・・灰原だ。



目の前には、瞳に涙をいっぱいに溜めた灰原の姿。
これも幻だろうか。
それともオレは生きているのか?

「―――バーロ、泣いてるんじゃねーよ」
「・・・・・・・・・・バカ・・・なの・・は・・・どっち・・・よ?」
言葉にならないような声で彼女は言った。

どうやらオレは生きてるらしい。
今にも溢れそうだった彼女の涙は雫となった。
オレはとうとうコイツまで泣かせちまったらしい。

「・・・・・・でもよかった・・・貴方が死ななくて」
「そんなに心配だったか?」
「当たり前でしょ?貴方が死んだらあたしはまた一人、人を殺したことになるんだから・・・!!」










「そう簡単には死なねぇよ」
大きく息を吐き、天上を仰いだ。
そう、今死ぬわけにはいかないんだ。





「・・・・・・・・・?」
やけに変な違和感がある。
真っ白なバスタオルで包み込まれた身体中が痛い。
額には大量の汗。
拭おうと思い、手を上げたら――――

「オレ・・・・でかいじゃん」
言った本人が一番驚いていた。

「そうよ・・・成功したの」
涙を手の甲で拭いながら、彼女は少し淋しそうに言った。

「そっか・・・あ、着替えねーと!!」
よく考えたら裸だった。
さすがにレディーの前では恥ずかしい。

「そう思って、用意してきたわ」
彼女は未だ震える手でTシャツとジーパンを渡してくれた。
「サンキュ!用意いいなぁ」
灰原はいつも、こうやって密かに助けてくれていた。
「じゃぁ、隣の部屋にいるから・・・・」
「あぁ」































少し経ってから彼はやってきた。

そんなに高くはないが、スラリと伸びた背。
柔らかくうねる、少しクセのある髪。
『江戸川コナン』をそのまま大きくした、綺麗な顔立ち。
上品なところが両親にそっくりである。
そして、あたしが大好きな漆黒の瞳。




















「・・・・・初めまして、工藤君」
何もかも、あたしの知らない貴方。




















「初めまして」
彼は顔をくしゃくしゃにして笑った。

笑顔も変わらない。
本当はもっと貴方の顔を見ていたかった。
でもこれ以上傍にいると、辛くて。
見てられなくて。

「じゃぁ、貴方の無事な姿も見れたことだし・・・・」
そう言ってあたしはカバンを持ち上げた。

「えっ?!もう行くのか・・・?」
貴方の優しい声。















お願い、惑わせないで。
















「いろいろありがとな」

彼の声が痛い。
優しい言葉のはずが、トゲとなってあたしの胸に突き刺さる。

「・・・・・・・・・あたしは貴方をこんな目に合わせた張本人よ?」
目を伏せる。
一番言いたくなかった言葉。

「何言ってんだよ?おまえのおかげで元に戻れたんだぜ?」
「あたしは別に・・・・」
口ごもる。
「でも、何でおまえオレにこんなことしてくれるんだ?」
「えっ・・・・・?!」




















ダッテ、アタシハアナタノコトガ・・・・・・




















「・・・・・・・・・・・・・罪悪感よ」

好きだとはもちろん言えず、この言葉が出てきた。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「ずっと考えてたの・・・・貴方のために出来ること」
これは本音。
「オレに・・・・?」
彼は何が何だか解らないとでも言いたそうに、小首を傾げる。

「あたしは貴方の幸せを奪った張本人だから、何とかしたかった」
肩が震える。
また泣きそう。

「灰・・・原・・・・?」
「こんなことであたしのしたこと、許されるわけじゃないけど・・・・・・・・・・・・」




















ドウシヨウモナカッタノ・・・・・




















「もういいよ・・・・・・・・・・・」

彼はあたしの頭を優しく撫でて、抱きしめる。
まるで泣きじゃくる子供をあやすように。

それが余計に哀しくて、
私はただただ泣くばかりだった。

「ごめん・・・・」
彼はただ一言呟いた。










痛いわね、お互い。

貴方はずっと、彼女に嘘をついていた。
貴方はあたしと違って、とても優しくて人の気持ちに敏感な人だから
彼女に嘘をついたことを悔やんでた。

でも、もう彼女を迎えに行けるから。
胸張って堂々と会いに行けるから。
『江戸川コナン』から解放されるから。




今までごめんね。

甘えていた。
貴方も同じ罪を持つものだからって。

好きでいてごめん。
嫌いになれなくてごめん。










罪から逃げたかったあたしと
罪から逃げなかった貴方。





もう止めよう。
現実から目を逸らすこと。
貴方から目を逸らすこと。

お互いのキズを舐めあったって、
何も解決しない。










あたしは自分から彼に腕を離し下を向きながら、掠れた声で
「・・・・・・・・行って」

「・・・・・・・・・・・・・?」
「彼女のところに行ってあげて・・・・」
あたしの最後の頼み。
精一杯の強がり。

彼は少し驚いたようだったけど、
「・・・・・・・・・・・・・解った」

あたしの気持ちを察してなのか
唇をキッと噛み、彼は私の横を通り過ぎた。



その瞬間、強く優しい風があたしの耳の横をかすめ、髪が揺れた。
これでさよなら。



―と思ったら急に立ち止まり、
振り返る。

走り寄って、大きな腕でもう一度あたしを抱きしめた。
突然のことで驚いたが、あたしは静かに目を閉じて、
彼の体温を確かめていた。





これが本当に最後。
もう触れられない。
もう話せない。

そして、もう逢えない。

あたしたち、出逢わなければよかった?
そうしたらこんなことにはならなかった?










彼のあたしを抱きしめる力が一層強くなる。
「オレ、おまえに逢えてよかった・・・・」



そっか。
あたしは少しでも彼に必要とされていたんだ。

ありがとう。
あたしはその気持ちだけで、もう充分。

彼は「ありがと」と耳元で小さな声で呟き、
それだけ言って腕を離す。
そのままくるりと背を向けて。



「じゃぁ、またな」

背中越しに軽く左腕を上げて、後ろを一度も振り返らずに彼は行ってしまった。























「・・・・・・・・・・・・アイツー」
涙が次々と溢れてきて、止められない。

でも貴方らしくて、笑って泣いた。





バカね。

『また』なんてもうないくせに。
貴方だってそのこと解かってるくせに。



バイバイが言えない、ダメな貴方に
さよならをあげる。

貴方のために何か出来たという誇りを持って。





「―バイバイ、工藤君」
涙が頬を伝わり、星になった。






















ねぇ、工藤君。

―あたしも貴方に逢えてよかった。




















大丈夫だよ。
あたし、乗り越えるから。

そうしたらもう、貴方のためになんか泣いてやらない。







誰かの為じゃなく
自分の為でもなく
そう、全てはキミのため。



愛する貴方のため。




















“こんな幸せのカタチがあってもいいですか?”
























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